イエスは本当に死から復活したのでしょうか。いくつかの仮説を立ててみましょう。
仮説1:弟子たちが死体を隠した?
まずイエスの墓が空であったことは誰も否定できない事実でした。反対者たちもそれを否定できませんでした。もし弟子達がイエスの死体を隠したとしたら、どこかに死体があればいずれ反対者たちに見つかるでしょう。
また弟子達が「イエスは復活した」と嘘の宣教をしたことになります。
誰が嘘のために命をかけるでしょうか。
復活後の弟子達の劇的な変化はその説を否定しています。
(十字架直後は、ユダヤ人を恐れて隠れていたのです)
仮説2:弟子達は幻覚を見た?
幻覚は個人的に見るものです。しかもそれは40日でぴったり終わるものではありません。
しかし多くの目撃者が40日間にわたって復活したイエスに出会っています。パウロの手紙では500人以上の人がイエスを見たとされ、多くの人はそのときまだ生きていると書かれています。(1コリント15:6) この手紙は新約聖書の中で最も古いものであり、信頼性は極めて高いのです。
仮説3:イエスは仮死状態だった?
本当死んではおらず、墓の中で蘇生したとしても、鞭で打たれ、何時間も十字架にさらされて衰弱した状態では自力で墓から出ることは不可能です。
またそのような体で弟子たちの前に現れても何のインパクトも与えられません。
仮説4:弟子たちの願望が伝説となった?
願望が思い込みになっただけでは、弟子たちの命がけの宣教活動を説明できません。
また伝説が流布するにはあまりにも早すぎます。
以上の仮説はみな、考えにくいものです。
では復活が事実ならその根拠は何でしょうか。
証拠1:空の墓
当時の議員であったヨセフの墓に納められたので、墓が空であることは誰の目にも明らかでした。
証拠2:弟子たちの変貌
イエスを否認したペテロ、十字架直後、ユダヤ人を恐れて隠れていた弟子たち、そして最初はクリスチャンを迫害していたパウロの改心、これも大きな証拠です。
ユダヤ教に熱心であったパウロは、クリスチャンを神を冒涜する者として逮捕していましたが、彼自身が復活したキリストに出会い、キリスト教の大伝道者になったのです。
そして彼らのほとんどが殉教したのです。
証拠3:多くの目撃者
前にも述べたように12弟子だけでなく、多くの目撃者がいました。
復活はイエスが救い主である証!
復活はイエスが神の子であり、救い主であることの証明であり、イエスの主張、教えと一致するものです。
また私たちの命が肉体の死で終わるものではないことを明らかにしてくれました。
パウロは、「キリストが復活しなかったのなら、私たちの信仰はむなしい(無駄だ)、私たちはうそつきになってしまう」(1コリント15:14,15)と言っているとおり、私たちの信仰の根幹はキリストの復活にあり、そこに私たちの希望があります。
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 「あなたのために、私たちは一日中、 死に定められている。 私たちは、ほふられる羊とみなされた。」 と書いてあるとおりです。 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
(ローマ8:32-39)