第5章 幼児洗礼は「天の国へのパスポート」では無い!−再洗礼派―

5.1 再洗礼派(アナバプテスト)の誕生

ルター(ル)とアナバプテスト(ア)とツヴィングリ(ツ)の会話 (フィクションです。)

ル:君が、近頃世間を騒がせている「アナバプテスト派」かね?

ア:はあ。でもそれは私たちが付けた名前では無くて、みなさんがそう呼ばれてるだけです。

ル:しかし、君らは幼児洗礼を受けた者に、再び洗礼を授けとるそうじゃないか!
  それは神と教会への冒涜じゃぞ!

ア:私たちは、幼児洗礼を受けただけで教会員になるというのは、おかしいと思います。
  教えをちゃんと理解できる年齢になって、自分に意志で神様に従って清く生きていきたい
  と願う者のみが教会員にふさわしいと考えます。聖書もそう教えています。
  「信じて洗礼を受ける者は救われる。」と...

ル:あなたに聖書を教えてもらわなくともわかっとる!
  イエスはすべての人のために死なれたのだ。こどももその恵みのうちにある。
  イエスは子どもらについて「天国はこのような者たちのものである」と言われた
  ではないか。
  大人になって、いくら理解したつもりでも、洗礼を受けるに「ふさわしい」という時期
  は無い。恵みじゃよ、恵み!

ツ:おお、ルターさん! まさかこのアナバプテストの味方じゃないでしょうな?

ル:とんでもない! 今彼を諭しておったところじゃ。
  そっちこそ、聖餐式論争のときみたいに、洗礼は単なる儀式だから意味がないなんて
  言うんじゃないだろうなあ。

ツ:そんなこと言ってませんよ。私は聖書から理論的に反論できます。
  まず洗礼は旧約時代の割礼に相当する契約のしるしであります。
  したがって割礼と同様、こどもも受けるべきであります。
  また、使徒時代にも「家族そろって洗礼を受けた」と記されておるとおり、昔からこども
  も洗礼を受けていたのは明白であります。エヘン!

ア:しかし、ですね。いくら幼児洗礼を受けていても、実際にはクリスチャンとしてふさわしく
  無い生活をしている者があまりにも多いではありませんか!そういう者で教会が構成されて
  ていいんでしょうか! イエスの山上の垂訓を守っている者がどれくらいいますか?
  幼児洗礼は天の国へのパスポートではありません!
  教会は清められた真のクリスチャンのみで構成されるべきです。国家とは分離すべきです!

ツ:なんということを! そんなことしたら教会は崩壊してしまうばかりか、国も乱れてしまう!
  今改革は始まったばかりだ。カトリックにも対抗できない。

ル:完全な清いクリスチャンなどいないのだ!ただ赦されて義とされたにすぎない。そんな
  教えは異端だ!! 君たちは狂信者だ!

  

 さて、ここまでで宗教改革の二大勢力であるルター派とカルヴァン派(改革派)が登場しましたが、同じ時期に、さらに別の改革勢力が生まれてきました。一般に再洗礼派(アナバプテスト)と呼ばれる人々です。この名前は彼ら自身が名づけたものではありません。彼らが主に幼児洗礼を否定したためにそう呼ばれました。彼らの主張は、”教会は、自覚的な信仰を持った者で自由意志により加入した者によって成立すべき”というものです。したがって幼児洗礼を受けていることで教会のメンバーになるのではなく、自覚的な信仰によって洗礼を受けることが必要だと考えました。

 彼らはツヴィングリの弟子の中から分離したと言われています。彼らは幼児洗礼が聖書的でないことを確信し、また改革派教会の国家との癒着、教会が世俗的権力を掌握すること、またそのために妥協することを非難しました。

 当時の社会において「再洗礼」というのは屈辱的であり強い拒否感があったようです。しかし実際には、再洗礼派が幼児洗礼を受けた者に、文字どおり「再洗礼」を施した例は少ないようです。

 その他の特徴は、

・国家教会制度(人間の権力)への不信、拒否
・非暴力、無抵抗、軍務拒否
・信者への高い倫理(山上の垂訓)要求
・聖霊の強調
・聖書よりも体験重視

5.2 主流派の反論

 幼児洗礼についての主流派の反論は、

  ・旧約における契約のしるしである割礼に相当する。割礼はこどもの受けるよう命じられていた。
  ・使徒時代にも「家族そろって洗礼を受けた。」という記述が新約聖書にある。
  ・救いは恵みによるのであって、理解力によるのではない。

 主流派は理論的に勝ったように見えるが、実践面では再洗礼派の主張にももっともな所があるのは否めませんでした。改革派はこれを信徒教育と訓練で解決しようとしました。

 国家との分離は、現代の我々には当たり前のようですが、当時の社会にとっては急進的かつ危険な考えでした。現在でもヨーロッパには国教会が存在することは日本人には理解しがたい点ですね。当時は生まれたときから、人は社会と教会に属していて国家と教会は一体だったのです。ところが、再洗礼派は、教会は自覚的に信仰を告白した者だけで構成されるとしたのです。つまり「いやな人は教会から出ていってもいい」あるいは「行いの悪い者は教会から追い出す」ということを主張したわけですから、当時の社会構造を破壊するものだったわけです。日本で言えば、引っ越して自治会に入ると、自動的にその地域の神社の氏子になってしまい、それに異を唱えようとすると村八分に合う、というのと似ていますね。(欧州はもっと過激ですが。)

 宗教改革は文字どうり「改革」であって「革命」ではありませんでした「天の国の鍵」は国家と一体になった教会が握っていました。再洗礼派は、個人と神との直接的交流を重視し、個人的な信仰が「鍵」であることを主張した点で先進的でした。しかし「個人的」が行過ぎて、「神秘主義」や極端な「聖霊主義」に陥ったことも事実です。

5.3 迫害

 1525年、まずスイスのカトリックが再洗礼派の迫害をはじめ、ルター派、改革派も厳しい迫害を行いました。ツヴィングリはチューリッヒ市議会を動かして逮捕、処刑を行いました。火あぶり、四つ裂き、水死、絞首刑、拷問などが行われました。しかし彼らはほとんど無抵抗、非暴力を貫いたのでした。
 追いかけてくる迫害者が割れた氷の下に沈みそうになるのを見て、引き返して助け、自らは捕らえれて死刑になった再洗礼派のディルク・ヴィレムスの話は有名です。(左はそれを記念する銅版画)

再洗礼派の流れを汲むメノナイトアーミッシュでは、当時の殉教の記録が大切に受け継がれているそうです。
 迫害によって離散した人々はやがてオランダのミュンスターに集まり始めました。しばらくは平穏な共同体だったようですが、やがて過激なグループが入りこんで来て、危険視されるようになりました。1536年カトリックとルター派の連合軍がミュンスターを攻撃しました。(ツヴィングリは1531年に死亡しています。)結局全員が処刑されました。これ以後再洗礼派は衰退していきます。

 この時期に4500人の人々が処刑されました。宗教改革の最大の汚点と言えるでしょう。

 カルヴァンは1536年からジュネーブの指導者のなったため、迫害には加わっていないようです。むしろ彼は、彼らを受け入れて、彼らの主張を聖書との整合性を持ったものに修正するために、彼らを教えたのです。


5.4 再洗礼派の流れ

 オランダの穏健な再洗礼派のを指導していたのが、元カトリック司祭メノー・シモンズ(1496年〜1561年)でした。彼らは平和な共同体を形成し、迫害に耐えて、やがて寛容令により、オランダ、スイス、北ドイツにて存続しました。穏健で聖書的だったブレザレン(兄弟会)というこのグループは、その指導者の名前からメノナイト(メノー派)とも呼ばれました。

 彼らは18世紀末、「信仰の自由」「兵役免除」の特典を受けて12万人以上の人々がロシアに移住しました。そして1860年、敬虔派によってリバイバル(信仰復興)が起こり、メノナイト・ブレザレン教会がロシアに誕生しました。
 ところが、ロシアは約束していた「兵役免除」の特典を撤回したため、1874年、アメリカの中西部とカナダに移住し、北米メノナイト・ブレザレン教団、カナダ・メノナイト・ブレザレン教団となりました。彼らは兵役拒否のために迫害を受けたこともありましたが、クエーカーらと共に良心的兵役拒否の権利を勝ち取り、第二次世界大戦では、軍隊に入る代わりに公共奉仕作業に従事し、平和運動に大きく貢献しています。

 また独自の文化、教義を持ち、一般社会との交流を避けて独自の共同体を維持しているアーミッシュは、迫害のためアメリカに移住したスイスのメノナイトの流れです。

 彼らの聖書主義と、独立教会主義は、後のイングランドの独立派(バプテスト、会衆派)やドイツ敬虔主義と影響し合いました。
 現在、幼児洗礼を認めない教派は、メノナイトの他には、バプテスト(ただし再洗礼はしない)、クリスチャンチャーチ(ディサイプルズ)、フッタイト、ブレズレン(同胞教会)などです。アメリカや日本で生まれた独立系の教会もほとんど幼児洗礼はしません。


現代の幼児洗礼

 日本でも幼児洗礼を行う教会はカトリックを始め、改革派、ルーテル教会などがありますが、幼児洗礼を受けていても成長して自覚的な信仰を告白して始めて教会員になれる、という規則になっている教会もあるようです。カトリックではそのとき堅信礼というのを受けるらしいです。

 


 


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