第10章 聖霊刷新運動 − 開かれた天の国の扉から吹く聖霊の風 −

しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。(ヨハネ14:26)

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。(使徒1:8)

 キリスト教の神は唯一でありながら、父、子(キリスト)、聖霊という3つの位格において存在しているという、いわゆる三位一体の神です。(詳しい説明は省きます。) キリストは復活の後、昇天してその姿は見えなくなるのですが、その代わり弟子たちに聖霊が与えられると約束しました。その聖霊が、イエスに変わって弟子たちを教え、導き、力を与えるというのです。

 旧約の時代は父なる神が主人公、新約の時代はキリスト、そしてその後は聖霊が主人公と言えるでしょう。しかし、教会は長い間その聖霊についてあまり重要視して来なかったのです。昔から聖霊を重んじる人々はいましたが主流にはならず、むしろ迫害されてきました。

 ところが19世紀から再び注目されるようになります。これがペンテコステ、カリスマ運動や第三の波運動などの「聖霊刷新運動」でした。これらの人々は「聖霊派」とも呼ばれます。

 世界宣教が拡大し、至るところで様々な教派によって天の国の扉が開かれましたが、今、現実の世界で悪に勝ち、神に従って、力強く、希望と喜びに満ちて生きてゆくために、そして神の愛と力をこの世界に知らしめるために、もうひとつ奥の扉を開く必要がある、ということでしょうか。そこから聖霊が自由に来られるために。

1.聖霊のバプテスマ

 聖霊刷新運動について述べる前に「聖霊によるバプテスマ」という言葉の解説をしておきましょう。
「バプテスマ」とは「洗礼」のことで、原語(ギリシャ語)の音訳です。英語では baptism です。「洗礼」という訳語が不適切だとする教派で使われています。一般的に洗礼とは、キリスト教入信の儀式で、浸水(身体を水に浸す)や滴礼(頭部に手で水滴をつける)によって、新しい信仰生活に生きることを象徴するものです。

ところが聖書には、水ではなくて、聖霊による洗礼(バプテスマ)があると書かれています。洗礼者ヨハネは、イエス・キリストをまず第一に「聖霊で洗礼を授ける」方として紹介しています。

「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」(マルコ1:7,8)

 イエスご自身も、昇天直前に弟子たちにこう言っています。

「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。
ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」(使徒1:4,5)

 事実それから50日後、ペンテコステの祭りのとき、弟子たちに聖霊が降りました。そのとき目に見える印として、炎のような舌が弟子たちの頭上に現れ、また自分たちも知らない外国語を話し出しました。(使徒2章)
 この外国語(もしくは誰も知らない言葉)を話すことを「異言」といい、その後も信仰に入った人々は聖霊が降ったしるしとして、異言を話しています。

 このような宗教体験は、聖書の時代(1世紀)特有の現象として考えられてきましたが、19世紀のリバイバルやホーリネス運動によって再認識されるようになりました。
 長老派のリバイバル指導者チャールズ・フィニーは、「新生に続く聖霊のバプテスマ」の教えを明確にしました。回心と信仰告白による新生体験とは別に、その後に聖霊のバプテスマの体験が必要であると説いたのです。

2. ホーリネス運動(初期ペンテコステ運動)

 ジョン・ウエスレーの精神を失いつつあったメソジスト教会内で1857年〜58年、パルマーによるリバイバルが起こりました。彼女は信徒でしたがアメリカ、カナダ、英国でリバイバル集会を開き、一度に何千人もの人が回心し、何百人もが聖霊のバプテスマを受けたと言われています。集会では全員が泣き続け、いやし、異言などのしるしが顕れました。彼らは新生の恵みに続く第二の恵みとしての聖め(ホーリネス)を強調しました。キリスト者としてふさわしい清い生き方(聖化)を求め、そのために聖霊の満たし、聖霊のバプテスマが必要であると考えました。この運動はメソジストからその他の教派へ拡大していきました。

 長老教会牧師 A・B・シンプソンはホーリネス運動の影響を受け、神のいやしが今日も行われることを確信したとき自らの健康も回復した。後に独立し、クリスチャン・アンド・ミッショナリー・アライアンス(アライアンス教団)を設立。彼の「四重の福音(新生、聖化、癒し、再臨)」は後のリバイバル運動にも大きな影響を与えました。

 1860年には、一部のホーリネス派の教会が除名され、フリーメソジスト教会を設立されまいた。1890年代には多くのホーリネス派が独立しました。こうして誕生した幾つかのホーリネス運動の教会はやがてひとつにまとまり、ペンテコスタル・ナザレン教団を結成しました。最初のころ、ホーリネス運動ではペンテコステ、ペンテコスタルという名称を使っていました。しかし、次に述べるペンテコステ運動と自らを区別するために、ナザレン教団と改称しました。

 19世紀終りごろ、聖霊のバプテスマについての強調点が変化し始めました。R・A・トーレーは潔めのためでなく、奉仕の力を得るために「聖霊のバプテスマ」が必要と説きました。ここからペンテコステ運動へと発展していきます。

3. ペンテコステ運動

 ホーリネス、クエーカーの影響を受けた伝道者、チャールズ・F・パーハムは、1900年に祈りを重要視する実践的な神学校べテル・バイブル・カレッジを設立。1900年12月31日、聖霊のバプテスマを求める祈祷会をしていました。学生の求めに応じてパーハムが学生の頭に手を置いて祈ると「異言」を話し出したのです。パーハム自身も同じ体験をしました。これが「異言を伴う聖霊のバプテスマ」を主張するペンテコステ運動の発祥と言われています。

 パーナムは1906年にヒューストンにも聖書学校設立しました。聖霊を求めていた説教者ウィリアム・ジョセフ・シーモアは、当時の南部の法律により黒人の故に入学できなかったが、窓の外で聴講することを許されました。このような中でも彼は熱心に求め続けました。彼が異言の伴う聖霊のバプテスマを説いたため、ホーリネス教会から締め出されました。

 1906年4月12日、シーモアは聖霊のバプテスマを受け、30人の人々とロサンジェルスのアズサ・ストリートの古い荒れ果てた建物で教会を始めました。集会は一日中、プログラムも無く自発的に開かれ、祈りが中心でした。シーモアは集会中、会衆の後ろで頭を靴箱に入れて祈っていました。ここでのリバイバルは新聞を通して世界中に広まり、またたくまに欧州、アジア、中南米など全世界へペンテコステ運動が拡大したのです。3年間のリバイバルでしたが、ここが今日のペンテコステ派の原点となるほどの影響を与えました。

 ペンテコステ運動では、聖化よりも、奉仕、宣教の力として聖霊の働きを重要視します。また、聖霊のバプテスマを受けた証拠として異言を必須のものとします。 このため、既成教会はもちろんホーリネス教会からも迫害を受け、独立した教会を形成していきました。

 1886年にホーリネスから独立したチャーチ・オブ・ゴッド教団は1907年にペンテコステ派になり、アズサを訪れて聖霊のバプテスマを受けたバプテストの牧師、ウイリアム・H・ダーハムらにより、1914年にアセンブリ・オブ・ゴッド教団が設立されました。

 現在では異言を語ることを必ずしも必要とはしない穏健な傾向になってきているようです。

3. カリスマ運動

 ペンテコステ教会誕生からおよそ半世紀後の1959年ロサンゼルス・ヴァンナイズの聖公会聖マルコ教会司祭デニス・ベネットは、友人の司祭から「異言を伴う聖霊のバプテスマ」を受けてから信仰に燃え、熱心になった若い夫婦についての相談を受け、彼らを訪問しましたが、逆に彼らの中に自分の欠けているものを見つけに、自らも「異言を伴う聖霊のバプテスマ」を受けました。彼はこの経験を個人的に語っていましたが、教会の中で動揺が起こり、5ヵ月後これを礼拝で公表しました。彼は辞任に追い込まれ、この事件は「タイム」「ニューズウイーク」を通して世界中に伝えられました。

 彼はシアトルの消滅しかけている小さな聖公会の教会に赴任しましたが、ここで自由に活動できたため、この聖ルカ教会は急成長し、カリスマ運動の拠点となりました。

 この運動の特徴は、異言に限定せず、広く聖霊の賜物を求めることを強調するところにあります。それは知恵や信仰も含み、預言、癒し、奇跡など多様な賜物を含みます。「カリスマ」ということばは、元々「霊の賜物」と訳されている新約聖書のギリシャ語です。

 もうひとつの大きな特徴は、この運動の広さにあります。プロテスタントのメインライン(主流派)教会、聖公会のみならず、カトリック、ギリシャ正教にまで及びました。しかし新しい教派を作ることなく、既成の教会の中で、この賜物を活かしていくことを目指しています。伝統的な教会の儀式を重要視し、聖霊によってこれを活性化しようとします。ペンテコステ運動から半世紀たって、「聖霊のバプテスマ」についての理解が広く行き渡っていたことも影響しているでしょう。

 オーラル・ロバーツやパット・ロバートソンなどによるテレビ伝道もカリスマ運動に大きく貢献しました。

4. 第三の波

 「聖霊のバプテスマ」について最後まで拒否反応を示したのは、福音派でした。異言や奇跡、いやしなどの神秘的な事柄を毛嫌いする傾向があります。特に日本ではつい最近まで、ペンテコステ、カリスマ派は異端視されていました。

 1980年代になるとピーター・ワグナーの「聖霊の第三の波」という著作をきっかけに福音派にも聖霊運動が広まりました。ペンテコステ、カリスマに続く3番目の波という意味で「第三の波運動」と呼ばれます。カリスマ派と同様、既成教会内で活動し、異言を必須の賜物としません。また一度限りの体験としての聖霊のバプテスマは強調しません。
強調するのは、霊の戦い、悪霊との対決であり、特に病気、障害の癒しを積極的に求めます。

 今日、ペンテコステ派、カリスマ派、第三の波派の信徒は全世界のプロテスタントの70%にも及んでいると言われています。


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