第3章 「天の国の鍵」は信仰のみ −ルターの宗教改革―

3.1 ルターによる福音の再発見

 マルチン・ルター(1483〜1546)は、農家に生まれ、ドイツ第一のエルフルト大学で修士にまでなりました。前途有望な学生でしたが、1505年7月2日シュトッテルンハイムで落雷に会い,死の恐怖にさらされのをきっかけに、このままでは自分の魂は滅びると確信し、突然アウグスティヌス隠修修道会に入ってしまいました。

 行い(サクラメントなど)によって救われると教えるカトリックの教義に従い、彼は修道院において、日夜祈りと勤労に励み、ミサに出席し、また懺悔を規則的に行っていましたが、それでも魂に平安を見いだすことはできませんでした。修道士としては非のうちどころのない自分でしたが、なお神の前に罪人であるという不安は拭いきれませんでした。

 しかし、そうした状況の中で、彼は聖書の研究に取り組み、徐々に聖書から光を受けていきました。あるとき、彼はローマの信徒への手紙の1章17節にある「神の義」という聖書の言葉を心に留めて、それが何を意味するのだろうかと、幾週間も思いめぐらしました。

福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで
信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書い
てあるとおりです。(ローマ1:17)

 あるときローマ教皇から勅令が出ました。それは「ピラトの階段」という階段を膝で上りきったら、その人の罪が許されるというものでした。まじめなルターは、挑戦しました。しかしその最中に、突然ひらめきが与えられ、このみことばの意味がわかったのです!
 この「神の義」とは、当時の解釈にしたがって、それが罪人に対する神のさばきを意味していると考えていました。神を怒りの神ととらえていたのです。しかし「正しい者は信仰によって生きる」との関係が理解できないでいました。しかし、それは私たちをさばく「義(正しさ)」ではなく、キリストを信じる信仰により神から与えられる「義」だいう確信に到達したのです。

 人は行いによっては罪を許されることなく、神の恵みにより、だたキリストの十字架の身代わりにより、それを信じる信仰のみにより、罪を許される、という本来の福音を再発見しました。そしてその信仰のよりどころは教会でも教皇でもなく聖書であるということを再発見しました。
これが「信仰のみ」「恵みのみ」「聖書のみ」という宗教改革のモチーフとなりました。

 それによって、ルターは天が開け、自分の魂が天に昇るように思われました。それまでの魂の苦悩は、完全に取り去られ、限りない平安と喜びが訪れたのです。彼の魂が神の愛と一つになることを体験したのです。この体験こそ、宗教改革の原点であります。実にこの体験が全世界を揺り動かし、闇の力を粉砕するエネルギーと力とを秘めているのです。

3.2 教皇は「鍵」を独占するな

1517年、ルターはヴィッテンベルグ城教会の扉に、「95か条の論題(意見書)」、正確には「贖宥(しょくゆう)の効力を明らかにするための提題」を貼りだしました。これによって宗教改革が始まったのです。
 教皇レオ10世がサン=ピエトロ大聖堂の改築費を捻出するために贖宥状(=免罪符:注)を発行したに対する抗議でした。お金次第で教皇が、「天の国の鍵」が開け閉めするというのですから、福音の再発見をしたルターにとっては当然の抗議でしょう。ルターは教会そのものを壊すつもりはなく、改革を目指していたのです。

人は行いによらず信仰のみによって救われる。 →したがって彼はサクラメントを洗礼と聖餐以外廃止しました。
信仰は教会や教皇によらず、聖書に基づく。 →教皇が唯一、無謬(誤りが無いこと)の解釈者ではない。
すべての人が神の前に自由な存在であり、何者にも従属しない。 →直接、神に出会う=万人祭司説を主張
→聖書をドイツ語に翻訳して民衆が自分で読めるようにしました。

こうしてルターは「天の国の鍵」を教皇の独占から解放しました!

(注:贖宥(しょくゆう)状とは、教会に蓄えられているキリストと諸聖人の功徳により教会から罪の償いを免除されるとして発行した証書。)

3.3 ルターの思いを越えて

 当初教会はいなかの一修道士など相手にしませんでした。しかし、民衆の反応が予想以上であり、ルターの意図を超えて大きな流れになっていきました。
ルターは教会そのものを壊すつもりはなく、改革を目指していたのです。95か条も純粋な討論を目的としたもので極めて穏健な内容でした。しかしルターが自説を強固に主張したためついに異端の烙印を押されてしまったのです。
 宗教改革が大きな流れになった要因は当時の時代背景にあります。

 このことからも、ルターは神の計画の中で用いられたのだということがわかります。ルター自身は、その後の農民戦争で、農民たちの過激なやり方に反対し、かれらの弾圧に加担した後、保守的な立場になっていきました。

ちょっとひとこと

カトリック教会の名誉のために補足しておきますが、第2回バチカン公会議(1962 〜65)以降、カトリック教会は大きく変化し、カトリック神学者たちがルター研究に取り組み、その信仰から学ぶことを始めました。教皇ヨハネ・パウロ二世は、1983年ルター誕生五百周年の祝いによせた声明で、ルターを評価しました。
今日、カトリック教会はプロテスタントをはじめ他宗教との対話、寛容、尊敬の姿勢を持ちつつ、カトリック教会内からも時には過激と思われるほどの改革が行われています。



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