高山右近研究室へようこそ
高山右近は、1573年(21歳)から1585年 (33歳)までの12年間、摂津の国
高槻城主でした。その間に、キリシタン大名として戦国時代のさなか、主イエス・キリスト
の愛に基づく生き方、町づくりをめざしました。貧しい人たちの葬儀のとき、城主自らが 率先して棺をかついだ話は有名です。
ある時期には2万5千人の領民のうち、1万8千人がキリシタンであった(約72%)
とパーデレ(神父)が報告しています。
しかし、織田信長、豊臣秀吉の家臣として多くの武功を挙げたにもかかわらずキリシタン禁制により、およそ30年間の苦難の生涯を過ごし、信仰を貫き、最後はマニラに追放されました。
彼の信仰の姿勢は、カトリック、プロテスタントを問わず、現代の日本人クリスチャンに 多くの示唆を与えてくれるものがあります。管理者である私もプロテスタントですが、高槻に住んでから高山右近のことを知り、その魅力に取りつかれた者です。したがって、当研究室は、主にクリスチャンの
視点から「高山右近」を見ていきたいと思います。
なお研究室の構築にあたっては、長く右近を研究されている久保田典彦氏(高槻市在住) の全面的なご協力を頂きましたことを、この場を借りて深く感謝致します。
(ただし研究室の責任はすべて管理者にあります。当研究室はカトリック高槻教会とは何の関係もありません。)
下:高山右近允の署名と花押 (署名は右筆のものと思われる。花押は右近の自筆。なお「重出」とあるのは、洗礼名ジュストを表す。)