高山右近とぴっくす

(情報提供:久保田典彦氏)

2004年2月23日

★「私の高山右近」(関根和美・著)が出版されました。中世ヨーロッパで上演された、高山右近などキリシタンたちを主人公にしたキリシタン劇を研究されたインモース師との交流のことや、「大分の高山右近の子孫」について、現地でひとつひとつ丹念に調べられて、これしかないという結論を導きだしてくださっていたり、貴重な内容になっています。

発行:高山活版社 1,800円
    〒870-0943 大分市片島尻込301の1
    п@097-568-8227

尚、「高山活版社」は、大分・萩原高山家の高山泰四郎さんが経営されている出版社です。

★1/4(日)、NHKテレビで「大友宗麟」−心の王国を求めて−が放映されました。(1/12再放送)
原作は遠藤周作の「王の挽歌(ばんか)」。宗麟が、波瀾に満ちた人生58年の49歳の時、洗礼を受けた後で語った、「この安らぎがほしかった。」「わしは生涯、この安息とともにいたい。」というせりふが印象的でした。宗麟役の松平 健、妻・矢乃役の財前直見他、なかなかの好演で、見ごたえがありました。
 尚、宗麟と高山右近が、直接顔を合わせる機会は無かったと思われますが、巡察師として都や高槻を巡ったヴァリニャーノを通して、右近のことについては、よく聞いていただろうと思われます。

★1/24(土)、昨年に引きつづき、台湾のワーシップ&プレイズ教会の一行42名の方々が、中国の正月休暇を利用して、すべて自費で(公演・宿泊料すべて)来日され、「高山右近」の劇を見事な日本語で上演してくださいました。(於・茨木市民総合センター、無料) 高山右近役は劉郁麟(リョウ・イー・リン)、すばらしい公演のもようは、神戸在住で「高山右近」のビデオを自主制作されたオクマン宣教師が、プロのカメラマンによってビデオ収録されました。
 頒布希望の方は、有井牧師まで。( 072-692-1337)〔1000円+送料〕
 会場では、「高山右近資料展」も行われ、多くの方が熱心に見てくださいました。
 尚、公演は京都・名古屋・北海道でも行われました。謝謝。

2004年1月8日

★11/1-2、金沢市鳴和町にある殉愛キリスト教会で、高山右近やキリシタン達をテーマにした「第17回 作品展」が開催され、力作が寄せられました。又、「高山右近書状」が床に掲げられた「右近庵」でお茶席が設けられ、「十字釜」「右近まんじゅう」(奈良県榛原町・昇栄堂)などでのもてなしがあり、多くの人たちが訪れました。

★高山右近とマニラまで同行した内藤如安の知行地があったと言われている能登の志雄町の「宙天丘(ちゅうてんのおか)」に、志雄町在住の山口克人さんの熱意により、「嗚呼ジュスト高山右近」の碑(釈迦院 時雄・書)が建立されました。(2003.10)当時、志雄に教会が建てられた、と伝えられています。

★大阪の中津にある「南蛮文化館」の秋季展(11月)が開催されましたが、春季展(5月)に続いて、「高山右近書状」が展示されていました。「最近、希望される方が多いので..」と、北村館長の奥様が話して下さいました。禁教厳しい江戸時代に、キリスト像が消された跡のある「南蛮屏風」も展示されていました。

★12/14(土)、「三島(みしま)子ども文化ステーション」主催で、「右近のまちのクリスマス」の催しが、カトリック高槻教会を会場に行われました。昼・夜のコンサートの間の第2部で、「高山右近資料展」と講演「右近のまちのクリスマス」が行われ、高山右近が高槻城主だった頃(1551・12・24、422年前)の高槻でのクリスマスを再現した話がありました。この時の話がブックレットになっていますので、ご希望の方は、140円分の切手を同封して、久保田まで。

2003年7月28日

★7/19〜8/31(月曜休館)、神戸市立博物館で、特別展「南蛮堂コレクションと池長孟(はじめ)」が開催されています。
池長さん蒐集の「南蛮美術」の主だったものが勢ぞろいという感じで、”右近研究”にとっての御三家というべき「聖フランシスコ・ザビエル画像」「南蛮屏風」(狩野内膳・筆)、「都の南蛮寺図」は勿論のこと、重要文化財の「泰西王侯騎馬図」「四都図」「織田信長像」など、”池長孟お気に入り名品選”として、同室に豪華に展示されています。

★昨年の秋季展(11月)は臨時休館となりましたが、「南蛮文化館」(大阪市北区)の春季展が1年ぶりに、5月中開かれていました。今回は「高山右近書状」が特別展示されました。「其後御返事もむつかしく・・・」の分ですが、前回展示されたのは1996年でしたから7年ぶりです。

★待ちに待った日比合作オペラ「高山右近」の公演が各地でスタートしました。(東京、高岡、金沢、高槻、京都、沖縄、豊橋、大阪、ダバオ、セブ、マニラ、バギオ(中止))
マランバ作曲、ラネラ指揮の音楽がすばらしく、高山右近役の細岡雅哉もバッチリ。出演者も、日比合作オペラにふさわしく、フィリピンの方々も多く、高山右近を通して、平和をもとにした日比両国の国際交流がすすめられることは、すばらしいことですね。
「剣をとるものは剣でほろびる」(テーマ曲) 現代の世相と重ねても指針となることが多くあり、高山右近の生き方を感動的にうたいあげた、すばらしいものでした。

2003年6月1日

★5月5日(子どもの日)、33回目の「右近コンサート」が、今年は、天王山の近く、島本キリスト福音教会で持たれました。講演は「山崎合戦の頃の高山右近」(講師・久保田典彦)で、併せて「高山右近資料展」も行われました。講演内容は近くブックレットにする予定ですので、希望される方は切手160円分を同封して、
     〒569−1136 高槻市郡家新町23−11 久保田まで。

★野崎キリスト教会・神田宏大牧師による新刊「河内キリシタン人物伝」(いのちのことば社、850円)が出版されました。
河内キリシタンで最も代表的な三箇城主・三箇頼照サンチョ、若江城主・池田教正シメオン、岡山城主・結城左衛門尉(じょう)アンタン、しばらく高山右近にも仕えていたことのある結城弥平次など、右近の少し前や、右近と共に歩んだ河内キリシタン達の姿が、生き生きと描かれています。

2003年4月12日

★高槻城三の丸跡に、高槻市立「しろあと歴史館」が3月30日にオープンし、開館記念の特別展「天下統一と高槻〜安土城・大坂城そして高槻城〜」が、5月11日まで開催されています。(月曜、祝日の翌日は休館)
 高山右近関係では、織田信長のときにおこなわれた天正8年(1580年)の検地と関係ある「高山右近允書状」(本山寺宛)や「高山帳」と呼ばれている「天川水帳」(検地帳)、それに「賤ヶ岳合戦図屏風」(大阪城天守閣蔵)、キリシタン墓地出土木棺(二支十字墨書の木棺と遺体)などが展示されています。

2003年3月14日

★2月3日は、高山右近の「召天記念日」でしたが、その前後に各地で、記念のいろいろな催しがありました。
 金沢では、1〜2日、殉愛キリスト教会で、第16回「右近祭」が持たれました。記念集会とお茶の集いがあり、釋迦院時雄さん(珠洲市)の新作「ルソンへの旅」と題する木彫りの右近像も展示されました。
 高槻では、2日、カトリック高槻教会で、「高山右近と福祉の町・高槻」と題して、講演会が持たれました。(講師:三俣俊二[聖母女学院名誉教授])
 茨木では4日、台湾の頌揚基督宣道会の39名の方々が来日され、すべて自費で日本語による創作時代劇「高山右近=神のみ国の戦士」を上演してくださいました。そのもとになったものは、「マンガ・日本キリスト教史」(まどか まこ・著、雲の間にある虹出版)と、神戸在住のオクマン宣教師が製作されたビデオ「Takayama Ukon」(英語)でした。
 尚、この右近劇は、京都と名古屋でも上演されました。

★2002年12月1日(日)、京都府船井郡日吉町にある「府民の森ひよし」の郷土資料館かやぶき民家で、230年前(1770年)に、オーストリアのザルツブルクで上演された日本キリシタン劇「ティトス・右近殿」(Titus Ukondonus, 原作:ライヒシーゲル、音楽:ミヒャエル・ハイドン)の日本初演が行われました。
[企画・総合責任者:井尻・シャウベッカー]

2003年1月23日

★1999年、雑誌「群像」(九月号)、続いて単行本として発表された加賀乙彦・著「高山右近」が、講談社文庫の1月新刊(2003年)として、発売されました。
 尚、長部日出雄・著「まだ見ぬ故郷」も、新潮文庫になって発売されています。

★2003年、1/12(日)午後、高槻福音自由教会で、「高山右近資料展」と講演会がもたれました。(講師:久保田典彦) 右近の誕生から召天まで、29枚の写真を中心とした資料が展示され、それをもとにして、「花押」と題して、高山からマニラまでの右近の生涯が語られました。

★「高山右近」物語(劇)

台湾の頌揚基督宣道会による、日本語の劇『「高山右近」物語』の公演があります。

  開演時間:2003年2月4日(火)PM6:00
  場 所 :大阪府 茨木福祉文化会館(オークシアター)
  入場料 :無料
  出 演 :頌揚基督宣道会(台湾)

 問い合わせ先:高槻シオン教会
        072-692-1337
        joyful@tcn.zaq.ne.jp

★東京オペラ協会が、”高山右近生誕450周年記念事業”として準備してきた、日比合作オペラ「高山右近」の公演スケジュールが公表されました。(12会場・全21回公演)
 右近ゆかりの地では、6月29日高岡市民会館、7月1日金沢市観光会館、7月4日高槻現代劇場が予定されています。(東京オペラ協会のサイト参照)

★北國新聞・富山新聞で、昨年(2002年)一年間掲載されてきた「高山右近」の記事が、”北國新聞創刊110年・富山新聞創刊80年記念出版”として本になり、発行されました。(定価2200円、北國新聞社)
 写真もすばらしく、貴重な資料になりそうです。
 惜しむらくは、しめくくりの最後の三行で、右近の召天日が「慶長二十年正月八日、西暦一六一五年二月五日未明のことである」となっています。「正月六日、二月三日」の間違いです。

★11/1(金)〜3(日)、金沢市鳴和町にある殉愛キリスト教会で、第16回「作品展」が開かれました。高山右近をテーマにした絵や書、ししゅうなど多くの作品が展示され、来会された方は「右近庵」でのお茶の集いをも楽しみました。

★大分市大在地区文化財同好会メンバーの姫野由栄さん他、4名の方が、「キリシタン大名高山右近とその子孫」について調査研究され、会誌「大佐井」第19号に発表されています。
 大分県に現住されている子孫(大在高山家・萩原高山家)について「高山家家系譜」をもとにして、検証されていますが、ただ、この通りだとしますと、高山右近にジュスタ夫人以外に「少将中川女」なる側室(?)がいたことになり(その子ども助之進の子孫)、これは、右近の信仰の姿勢からして、ありえないことですから、こまったことになってしまいます。さてさて、どういうことなのでしょうか。

★11月10日(日)、細川ガラシャゆかりの地で、「長岡京ガラシャ祭」が催されます。メインを飾る明智玉(細川ガラシャ)の輿入れを再現した行列巡行は、12時40分に勝龍寺城公園を出発します。
 織田信長の執り成しにより、細川与一郎(忠興)と勝龍寺城での婚礼の式を挙げたとき、玉(光秀の三女)は15歳でした。高山右近よりは11歳年下。右近と親しかった夫・忠興を通して、右近の信仰について聞き、大きな影響を受けたと思われます。

★10月10日、第22回「かなざわ史跡同行会」が、殉愛キリスト教会の山縣実牧師を講師に迎えて、約50人が本多町の旧中村邸で、高山右近に関する話を聞き、ゆかりの場所を巡るなどして、右近の偉功に触れました。


★10月5,6日( 土、日) 静岡にある聖光学院の文化祭「聖光祭」で、「右近展」と、「高山右近の後半生」と題した講演会がもたれました。

過ぐる静岡聖光学院の「右近展」は、大きな憐れみを受けて、展示物やビデオ、さらに講演を通し、人々の心に深くのぞむ働きがおこり、感謝しております。幾人もの人が、金沢に行きます・・・と喜びを表明して下さり、主に感謝いたしました。ロバート先生(理事長)が、インターネットの右近のホームページからのコピーを2冊にまとめて展示され、右近詩集「なでしこの花」があるのを、改めて知らされ、主の奇しさに、感動しました。(殉愛キリスト教会・山縣 実牧師)

★10/12〜12/1まで、大阪城天守閣の3階で、「南蛮屏風」重要文化財指定記念の「南蛮−ヨーロッパ世界との交流」展が開催されています。「南蛮屏風」には南蛮寺も描かれていて、すばらしいものですが、高山右近関係のものとして
・「千利休自筆書状」 ”南坊昨日午刻二宮古(都)を立被申候”
・「賤ヶ岳合戦図屏風」 ”岩崎山砦、高山右近士卒”
・「豊臣秀吉九州攻陣立書」 ”二月五日、千三百、高山大蔵少輔”
など、貴重なもの95点が目白押し・・・という感じです。(入場料600円)

大阪市北区中津にある「南蛮文化館」の秋季展示は例年11月中(月曜休館)、貴重なキリシタン関係遺品や南蛮美術品が公開されていますが、今年は北村芳郎館長が直前に体調をくずされ、入院されていたこともあって、臨時に休館となりました。来年の春季展示(5月中)に期待いたしましょう。

★JR西日本発行の旅行パンフレット「加賀百万石紀行」の「宝円寺」のところに、”キリシタン大名の高山右近によるとされる切支丹灯篭もあるので見学してみましょう”とありました。お墓に向かう途中に、前田利家の「御影堂」と「御髪堂」があり、そのまん中に石塔があります。その下部に十字が刻まれており、利家と関係があって十字があるところから、高山右近と関係があるのではないかと思われる、とのことです。

2002年9月28日

★9/12-17 高槻・手作り絵本サークル「いろえんぴつ」の作品展が、総合市民交流センターでもたれていましたが、4人のメンバーの方々で作られた合作の手作り絵本「高山右近」も展示されていました。

★北國新聞連載の「高山右近」の舞台がいよいよ加賀・金沢になってきました。
高山右近の金沢での様子は、宣教師の報告にはほとんど出てきませんが、「金澤古蹟志」(森田柿園・著)にまとめられていて、その一部を知ることができます。
その中の
 
巻六「高山南坊旧第」 「高山南坊等伯伝」
巻七「伴天連居址」 「耶蘇宗教事略」
ですが、金沢市立玉川図書館・近世史料館に申し込めば、コピーして送っていただけます。
          TEL 076−221−4750 (要・コピー代+郵送料)

2002年9月16日 

★埼玉県春日部市・春日部福音自由教会の高橋敏夫牧師は、高山右近研究を信仰と茶道の両面から追及されていて、表千家の教授の働きもされていますが、9/29福知山福音自由教会、10/1大江野の花教会で、「キリスト教と茶道・高山右近に学ぶ」というテーマで講演会を持たれます。

★文禄4年(1595年)から慶長2年(1597年)の間、島原・有家(ありえ)にあったセミナリオで、1597年(二十六聖人殉教の年)に日本人画学生によって、銅版画「セビリアの聖母」が制作されました。有家町から依頼を受けて、銅版画家・渡辺千尋さん(長崎・西坂出身)が当時のままの「ビュラン彫り」で復刻されていく様子が「殉教(マルチル)の刻印」(小学館)に詳しく紹介されています。(第8回「小学館ノンフィクション大賞」優秀賞)

★高山右近関係の史跡を再訪しますと、以前に見た様子や写真とは違っていることが、よくあります。

・カトリック高槻教会の陶板の「高山右近像」(河合紀・作)の場所が、「右近会館」の通りに面した東壁に移されました。
・「高山右近天主教会堂跡」の碑や説明板も、実際の跡地(野見神社)からさらに離れて、1998年に発掘された「キリシタン墓地」のあたりに移されました。
・高山右近が、高槻に続いて城主となった明石・船上城跡の目立っていた立て看板も今はありません。(根元が朽ちたのかな?)
・高山飛騨守・彦五郎父子が仕えた高槻城主・和田惟政が戦死した「白井河原合戦跡」の説明板も、根元が朽ちたそうで、今はありません。(追記:2003.11.14に行ってみたら建てられていました。)
・高山彦五郎(右近)が1552年から57年の幼少の5年間を過ごした高山(大阪府豊能町)の、高山城跡近くのすてきな場所に4年前(1998年)、「高山右近生誕之地」の立派な碑が建てられました。
・高山・西方寺にあった「オラトリヨ跡」の案内板は、今は無くなっています。
・茨木・下音羽の「高雲寺」や「井上宅」の貴重なキリシタン墓碑は、屋根は取り付けられていますが、風化が進んで表面の文字はわからず、ただの石の塊のようです。市文化財の指定を受けているものですし、保存の方法を検討して頂きたいものです。

2002年8月24日 

★8/10(土)’金沢散歩学’が「高山右近と利家・利長」をテーマにして行われ、殉愛キリスト教会・山縣実牧師を講師に、25人で、右近が金沢に残した26年間の足跡を訪ねました。

★近畿福音放送伝道協力会・支援会ブックレットNo.2として、「高山右近が城主だった頃の高槻」が発刊されました。(6/15「右近コンサート」で話されたもの)希望される方は、切手160円分を同封して下記まで。
      〒569−1136 高槻市郡家新町23−11 久保田典彦

★東京オペラ協会では、高山右近生誕450周年を記念して、創作日比合作オペラ「至福の王者―高山右近」の制作、準備をすすめておられます。(全2幕)
台本 永久村次郎(東京オペラ協会 芸術監督)
作曲 マヌエル・マランバ(サント・トーマス大学教授)、石多エドワード(東京オペラ協会 芸術監督) 
 
2003年2月26日フィリピンで初演し、4月11日から日本の5箇所(東京、金沢、琵琶湖ホール、高槻、長崎)で公演される予定です。 (東京オペラ協会のサイト参照)

★北國新聞”加賀百万石異聞「高山右近」”17回目(6/18分)「一向一揆と十字軍」に、高山右近が「自分の領地の高槻や明石などで布教の為に仏教寺院破壊を断行している」「多くの寺院破壊が行われたことが伝えられている」とありますが、どんな歴史事実・資料をもとにそのように断定し、記されたのでしょうか?
高槻市では、こうした寺社の破壊、焼き討ち伝承に対して、市資料係がきっちり検証・考察して、市の広報紙でシリーズで取り上げ、それが「新いにしえ物語」という本にまとめられて、頒布されています。 (高槻市役所・広報課 TEL 072-674-7306  1000円) 

★高槻市の城跡公園に建てられている「高山右近像」(西森正昭・作)の説明版に、高山右近の召天した日が「慶長20年2月5日」となっていましたが、今は「5日」の部分が白いペンキで消されています。
正確には、西暦1615年2月3日で、元号では慶長20年1月6日ですから、今なお、正確ではなく、西暦と元号が入り混じってしまっています。(右近の「帰天日」(高橋勝幸)のサイト参照)
 
 
★6/29 (土)近畿福音放送伝道協力会の主催で、「播磨キリシタン遺跡巡り」が行われました。案内して下さったのは、神田宏大牧師(野崎キリスト教会)で、禁教時代の「十字架地蔵」(大日寺)、数々のかくれキリシタンの「墓碑」や、「十字架」(宝蔵寺)を見ることができました。
高山右近が城主だった明石船上城跡をも訪ね、現地に立って、当時の姿をいろいろ想像してみました。(久保田)

★7/23 高槻・生涯学習センターで、「芥川山城・三好長慶のなぞ」をテーマにシンポジウムがもたれました。(基調講演・出水康生)
山城であった芥川城には、高山飛騨守・彦五郎(右近)も城番として、高槻城に入る前の2年ほどをここで過ごしています。三好長慶は芥川城で7年間、その後飯盛山城に移りましたが、畿内11ヵ国を支配し、キリスト教布教にも理解を示しました。

★10月5,6日(土、日)、静岡にある聖光学院の「学校祭」で「右近展」と高山右近に関する講演会が持たれます。(講師・殉愛キリスト教会・山縣実牧師)

2002年7月19日

★例年5月5日に、奈良県榛原町の「高山右近受洗之地」のりっぱな碑のそばで「右近子どもまつり」が持たれています。右近(彦五郎)が少年時代を過ごし、12歳のときにバプテスマ(洗礼)を受けたこの地で右近のことを良く研究された大門貞夫さんたちが、教会や地域の方々の協力のもとに始められたものですが、今年で32回目になりました。

★加賀友禅作家の木村州宏さんが、「ライフワークにしたい」と、高山右近を題材にした加賀友禅作りに取り組んでおられます。

★NHK大河ドラマ「利家とまつ」の第21回目「利勝の初陣」(5/26放映)に、高山右近(役:沢村一樹)や南蛮寺が登場。最後の「利家とまつ紀行」で高槻市の右近関係の場所が映し出されました。

★6/15(土)第32回「右近コンサート」が高槻城跡にある高槻現代劇場で開かれました。
「右近賛歌」、「右近のワルツ」などの曲が歌われ、講演「高山右近が城主だった頃の高槻」(講師:久保田典彦)もありました。

2002年6月7日

★NHK大河ドラマ「利家とまつ」の放映にあわせて、北國新聞(金沢)で毎週火曜日、一面のスペースを使って、”加賀百万石異聞「高山右近」”、が連載されています。よく調べて書かれていますし、写真も大きく、見事な内容です。一年間続くようです。
北國新聞のサイトでも読めます。 北國新聞連載企画「高山右近」

★日本最古の「キリシタン墓碑」が大阪・四條畷市で発掘され、公開されています。
(四條畷市立歴史民俗資料館)
田原礼幡(レイマン) 天正九年(1581) 八月七日

と刻まれています。これまでは、八尾市内の「満所(マンショ)天正十年」と刻まれた墓碑が最古でした。
フロイスの書簡には、河内のキリシタンが京都で信長に会ったと書かれていますが、その中に田原レイマンの名前が記録されており、フロイスの書簡の信頼性が確認されました。

★「長崎26殉教者記念像」や「高山右近像」(26聖人記念館)などの、すぐれた作品を制作された彫刻家・舟越保武さんが、2月5日、89歳で召天されました。

★1998年6月、高槻城跡より発掘されて大きな話題となった右近時代のキリシタン墓地、木棺の蓋に墨書されていた十字架などに関する詳しい調査報告書が「高槻城キリシタン墓地」というタイトルで発売されています。(4,000円 高槻市教育委員会 072-674-7652)


1999年9月  加賀乙彦氏による創作能「高山右近」上演

1999年8月  最古のロザリオ発見

高槻で昨年発掘されたキリシタン墓地から、日本最古のロザリオが発見された。フロイスの「日本史」に書かれているように、右近の父飛騨守が作らせたものと思われる。 1999年9月  小説「高山右近」発売

加賀乙彦氏による小説「高山右近」が、8月発売の「群像」9月号に発表され、9月に講談社から単行本として発売された。

1998年6月  右近時代のキリシタンの墓発見

大阪府高槻市にある高槻城跡近くの発掘現場で、地下2Mの地層から25基の棺が見つかり、その一つの棺のふたに墨で十字架(縦10cm、幅8cm)が書かれておりフロイスの書簡に書かれている右近時代のキリシタンの墓であると見られる。秀吉の禁教令により当時のキリシタン墓地は破壊されて、墓標しか残されていなかったため、棺が発見されたのはこれが初めて。

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