高山右近年表
2001/9/18改版
1549(天文18)	フランシスコ・ザビエル来日、キリスト教を伝える
1552(天文21)	彦五郎(後の右近)摂津の国三島郡清渓村高山に生まれる。
1563(永禄6)	父、飛騨守、洗礼を受ける。洗礼名ダリヨ。
1564(永禄7)	右近、沢城にて洗礼を受ける、12歳。洗礼名ジェスト。
        他にも、ダリヨ夫人、子女、家臣など150名が洗礼を受ける。
1568(永禄11)	飛騨守、摂津の守護和田惟政より芥川城を授けられる。
1570(永禄13/元亀元)	長崎開港。
		摂津、余野の黒田氏の娘ジェスタと結婚。18歳。
1573(元亀4)	和田惟長、高山父子暗殺を計り、惟長を討つ。
		飛騨守、高槻城主に。まもなく隠居して宣教に献身。
		右近、高槻城主に。荒木村重に属す。21歳。
1574(天正2)	高槻に天主堂を建設。
1575(天正3)	長男十次郎(洗礼名ジョアン)生まれる
1576(天正4)	パアデレ・オルンガチノを招いて、荘厳、盛大に復活祭を
		行う。
1577(天正5)	一年間に四千人の領民が洗礼を受ける。
1578(天正6)	荒木村重、織田信長に謀反、敗北。
		飛騨守、村重側につき、柴田勝家預けとなり北荘(福井)へ。
1580(天正8)	安土城築城に伴い、安土セミナリオ(神学校)建設。
1581(天正9)	巡察師ヴァリニャーノを迎え、盛大に復活祭。
		グレゴリオ聖歌が流れ、日本に初めて輸入されたパイプ・
		オルガンが響く。
1582(天正10)	本能寺の変。山崎の合戦で先陣。
		安土セミナリオを高槻に移す。父、高槻に戻る。
		大友宗麟、有馬晴信ら、4人の少年使節をローマへ(90年帰国)
1583(天正11)	大阪築城に合わせ、大阪南蛮寺(教会)建設。
1585(天正13)	播州明石に転封。明石教会建設。
1587(天正15)	娘(ルチア)生まれる
1587(天正15)	秀吉、九州征伐へ向かう。
1587(天正15)	秀吉、バテレン追放令を出し、右近の領地没収、追放。
		小西行長により小豆島にかくまわれる。
1587(天正15)	大友宗麟死去。義統が後継
1588(天正16)	小西行長と共に肥後へ。
		前田利家の招きにより金沢へ。利家の保護により、茶人とし
		ても活動、また多くの人を信仰に導く。
		細川ガラシア夫人受洗。
1591 (天正19)	秀吉がヴァリニャーノらに謁見
1592(天正20)	秀吉、朝鮮出兵
1593(文禄2)	フランシスコ会の宣教師来日
		大友義統、朝鮮の役の失敗で改易
1596(文禄5/慶長元)	ダリヨ死す。長崎で葬儀。
		土佐浦戸にイスパニア船サン・ヘリーペ号が漂着、
		26聖人の殉教
1598 (慶長3)	秀吉,病で死去
1600(慶長5)	ガラシャ、人質を拒否して自害。
		関ケ原の合戦。
		小西行長処刑、大友義統、出羽秋田に幽閉
1602(慶長7)	ドミニコ会、アウグスチノ会の宣教師来日
1603(慶長8)	娘ルチア、横山康玄に嫁ぐ
1605(慶長10)	金沢に南蛮寺(教会)建設。
		大友義統死去
1608(慶長13)	母と長男十次郎夫婦死去
1612(慶長17)	岡本大八事件
1614(慶長19)	徳川家康、キリシタン禁教、バテレン国外追放を命令。
		右近一家、大阪から船で長崎へ。長崎から小型船でマニラへ。
		マニラで大歓迎を受ける。62歳。
1615(慶長20/元和元)	マニラ到着後40日ほどで熱病にかかり死亡。
		マニラ市あげての召天式が行われ、サンタ・マリア聖堂に
		葬られる。63歳。
1616(元和2)	妻とルチアと孫のひとりが帰国	
1637(寛永14)	島原の乱(37〜38)
1640(寛永17)	マカオ大使の殉教

1858(安政5)	踏み絵を廃止
1865(元治2/慶応元)	大浦天主堂建立。250年潜伏した隠れキリシタンが発見される。
1867(慶応3)	浦上キリシタン捕らえられる(浦上四番崩れ)
1878(明治11)	キリシタン禁令の高札、取り除かれる。
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