キリシタンの墓発見

右近時代のキリシタンの墓発見!!

 1998年6月20日、関西地方の朝日、読売、毎日の各新聞は一斉に、高槻で高山右近時代のキリシタンの墓が発見されたことを、写真入りで報道した。

 大阪府高槻市にある高槻城跡近くの発掘現場で、19日、地下2Mの地層から25基の棺が見つかり、その一つの棺のふたに墨で十字架(縦10cm、幅8cm)が書かれており(下の写真参照)、フロイスの書簡に書かれている右近時代のキリシタンの墓であると見られる。秀吉の禁教令により当時のキリシタン墓地は破壊されて、墓標しか残されていなかったため、棺が発見されたのはこれが初めてで、禁教令以前のキリスト教を知る上で貴重な手がかりになるという。

 棺に書かれた十字架は、通常の十字架の上に3cmの短い横棒が付いたイエズス会特有の「干十字架」であり、この横棒は、ヨハネ福音書19章に記されているイエスの罪状書きを表しているという。

 棺の中には11人分の人骨があり、10代の子供と幼児らしい人骨が1体づつあった。

ヨハネ福音書19章

17 彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。
18 彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真中にしてであった。
19 ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」と書いてあった。
20 それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった。
21 そこで、ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください。」と言った。
22 ピラトは答えた。「私の書いたことは私が書いたのです。」


TOPへ



Copyright 2001 eChurch Japan
Copyright 2000 Logos Internet Ministry, Japan