右近百首

関根 和美 (「地中海」同人)

●呂宋へ  1614年(慶長19年)11月8日、徳川家康の禁教令により、高山右近は、家族や内藤如安とその家族、宣教師や他の信徒とともに
マニラに追放され、 翌年の2月3日、上陸からわずか40日余りで、熱病のために召天する。享年63歳。
  1.  生きてみる 終(つい)かと峠に振り返る まなこに遠く 雪嶺かすむ
  2.  ねらう者 あらば疾く来よ わが一行 信仰に死す 時を乞うなり
  3.  生き延びし身を立たすなり パードレも 亡父も眠る長崎の墓地
  4.  戦世(いくさよ)に あぐる功名 もとめねば 追放の身を 船に横たう
  5.  祈るより なさざる群れをなお疎み 追いやらむとす大海原へ
  6.  刃物なく 彫りあげし像 マドンナよ われは死すとも 帰る日あれな
  7.  吹き荒れし 嵐の後を生かされて 生きてこの身は何をなすべき
  8.  また一人 召されてゆきぬ 目指すべき 陸(くが)も間近の今と知れるに
  9.  老朽の船エステバン・デアコスタ 六百余里を 漂いて着く
  10.  礼砲と教会の鐘を身に浴びつ 歩むは総督官邸の門
  11.  はじかれて追われ隠され しのび来し 目にはまぶしき 十字架の塔
  12.  羅馬(ローマ)国もかくのごときや聖堂に ヒム満ち栄えにつつまるる身は
  13.  聖誕祭 こえてさびしき南国の 雪なき正月あるを知りたり
  14.  日々重ね 慣れぬみどりも親しきと 熱帯雨林(マングローブ)の森にたたずむ
  15.  ひとの世にあるは悲しく分け隔てなす壁と知る城壁の都市(イントラムロス)
  16.  パシグ河そそげる湾の夕暮れて 血潮のような落日を浴ぶ
  17.  一日の終わりは一生(ひとよ)を閉ずるごと 胸にしずけく掌(て)を合わせたり
  18.  茶のみどり そのやわき色の恋しかり 黄なる果汁に口付くるとき
  19.  底いには少し残れる茶の粉の 鮮やかならず香も失せ果てて
  20.  甘き水もて点つる茶の叶わねば 織部茶碗にうくほこり見ゆ
  21.  ああつよき椰子油(やしゆ)の臭い 衰えし身は異国なる食を拒めり
  22.  雪の加賀 新緑の奈良 高槻の復活祭と脳裏めぐるは
  23.  戦場に果つるべき身が南海の 国に終わらむかくも静けく
  24.  憂うるな すべてを神にゆだねよと 家族に遺す言をしたたむ
  25.  行長(ゆきなが)や氏郷(うじさと)に逢わむハライソに まいらむモレホンよ香油をわれに
  26.  秘蹟なる終油のよけれ少しずつ 天に招かれ死の側につく
  27.  雪のごと降る花もなく灼熱の ハイビスカスの燃ゆる只なか
  28.  十日にも及ぶ別れのミサに寄る 国籍を越え貴賎を超えて
  29.  死してなおその身やすまることもなく 幾たび移され遺骨はいずこ
  30.  スペインのアメリカの残骸匂う地に 右近よ あなたのかけらを探す
  31.  右近像 ディラオの広場に立つと言う 寄りゆくままに高鳴るこころ
  32.  大いなる身を いただきに埋もれいる 数多(あまた)を思い声聴かむとす
  33.  今の世に右近を恋う者おりますと マニラの空に放つ日本語

    ●少年期(受洗)

  34.  聖ザビエル 上川島(サンシャンとう)にて召されしも
       即ち 天より種は蒔かれて
      (1552年 ザビエル召天、右近誕生)
  35.  生き難き乱世に生まれしみどり子を 守り育む能勢の山里
  36.  われはいつも野を走りおり伊那佐山うつす 川原に足浸しおり
  37.  父母(ちちはは)の今日かしこまり座す宴(うたげ) うたげならずやこの静けさは
  38.  天よりの雨の滴(しずく)のつめたさに お指の水は額(ぬか)に触れたり
  39.  強きもの美(は)しきもの超え貴きは 片足ひきゆくロレンソ様か
  40.  耳慣れぬことばならぶも ああ熱き語りは身内(みぬち)に貯められてゆく

    ●青年期(確信)

  41.  何処(いずこ)をば 彷徨いいしかすき間よりもれくる光にわれは目覚めぬ
  42.  寝返りをうたんとすればうずく傷 ひと斬りし身といま思い出づ
  43.  癒えゆくは 傷のみならで 心癒え 霊魂(アニマ)強まる祈りの中に
  44.  父われに城ゆずるという 高槻の城主つとまる身となしたまえ
  45.  わけへだてなくいつくしみ民想う 父母(ふぼ)より生(あ)れしことに掌(て)合わす
  46.  正義とはおのれにあらず 天の主に照らして義となす者なり ジュスト

    ●高槻(試練)

  47.  まふたつに割れし城内 その亀裂広がる時を祈りつづけて
  48.  まげを切る日の来たるとは 紙子にて信長殿の許(もと)へまいらむ
  49.  身を捨つること憂いなく 天上に預けたる身と思うすがしく
  50.  真すぐなる行ない直(ひた)に受けとむる御仁(おひと)ぞ 天下を取らんとするは
  51.  逆らいし荒木一族 草の根を分けて捕らわれ殺されしとぞ
  52.  わが父母は配流となりて 越前に信仰伝える機を得たるなり

    ●復活祭(つかの間の喜び)

  53.  戦いに明け暮るる日々 さればこそ 主の聖日を皆で祝わむ
  54.  聖堂にあふるる民はそのままに 主のよろこびとなりてあふるる
  55.  命かけ海を渡りて来しひとの 伝うることば おろそかならず
  56.  ふるさとを偲びて涙にじませる ヴァリニャーノ殿の遠きお国よ
  57.  いつか身も羅馬(ローマ)訪いたき 教皇と御言葉かわす日などあれかし
  58.  セミナリオに学ぶ幾多の少年の 楽は響(とよ)めり地よりぞ天へ

    ●明石(不安)

  59.  明石へと移りゆく身は 後ろ髪ひかるるおもいぞ 信厚き民
  60.  瀬戸内の要衝なれば 船上(ふなげ)城 今日よりここを住まいとなさむ
  61.  戦いの合間を縫いつつ受洗せる 茶の道の友 信仰も得て
  62.  大坂城めぐるコエリョ 太閤に示す過信に不安はよぎる
  63.  九州へいざ出陣の命下り 終(つい)の別れと知らず発(た)ちにし

    ●伴天連追放令(決断)

  64.  主と我と いずれ取るやと問うなかれ 主にありて生(あ)れし太閤殿も
  65.  いっさいを剥奪するという 無一物になりて近づく神ありわれに
  66.  信仰を捨てしふりせよ この難事くぐり抜ける間のみぞと友は
  67.  世の終わり地の果てまでも主の在(ま)さば ただ安らけき 疑いはなし
  68.  わたくしにできること それは祈ること ただそれのみに これからも在る
  69.  信仰のゆえに追わるる身とならむ いとしき家臣のかんばせに泣く

    ●小豆島(潜伏)

  70.  穏やかな海をただよい辿り着く島なり行長殿を介して
  71.  草を分け潜伏の地へ登りつむ 沢の流れの清きを見つつ
  72.  眼下より上がる狼煙(のろし)に訪ねゆく オルガンチノのかくれ棲む里
  73.  信仰を得る者増えゆく日々に生き この小国にあるをよろこぶ

    ●加賀(茶道)

  74.  南蛮寺ひとつ下されそれのみに足れりと無禄の身を加賀に寄す
  75.  茶の道はわれにふさわし 聖堂のうちに籠もれるごとく茶を点(た)つ
  76.  剣(つるぎ)おき頭(こうべ)を伏して入る茶室 権力とうは遠き世のこと
  77.  宇土の地ゆ内藤如安迎えたる われにふつふつ漲(みなぎ)るちから
  78.  願い来し南蛮寺建ち 南蛮の坊「南坊」(みなみのぼう)われのことなり

    ●高岡(築城)

  79.  あたらしき城築くこと任されて 利長殿に はかる縄張り
  80.  徳川に心ゆるさず逆らわず ただ備えのみ万全となす
  81.  堀深く水を湛(たた)えんなみなみと 前田家繁栄そを願いつつ
  82.  うまき水汲むための井を城内に 探らんとする楽しみて今
  83.  完成の城見せたきに去年(こぞ)わが子その妻わが母みたり喪(うしな)う
  84.  夢に逢うわが十次郎まだ若く 能を舞いつつ近づいてくる

    ●能登(祈り)

  85.  七尾なる本行寺への山道に 親しさ増すも歳月ならむ
  86.  右近谷とひと呼ぶ窪地庫裡(くり)の奥 朝な夕なに瞑想をなす
  87.  きく亭は喜久(きく)なれ 喜りヘエレイソン主の名を胸に集い来たれよ
  88.  招くべき面輪(おもわ)浮かべてしたたむる 聖誕祭へのいざないの文
  89.  小麦粉を肉にまぶしつ煮込みたる 鴨の治部煮を正餐となす
  90.  野も山も寺も館も覆われて 一面の白 聖夜のゆきに

    ●きさらぎ

  91.  如月の三日ぞ キリエ・エレイソン 今日呂宋にて右近帰天す
  92.  左には右近 右にはガラシャ像 立ちて誘う聖堂の内 (玉造)
  93.  ひとたびのミサにいそげる足音も かくひびきしや天満への道
  94.  黒塗りの厨子に秘め来し 磔刑の血潮したたる像に涙す (下音羽・大神家)
  95.  高山は高き里なり 天国に近き里なり樹々青くして

    ●光満つる家(や)

  96.  一心に笛ふくひとの傍らの われと雀と右近の像と
  97.  笛の音も二つとなりて響(とよ)むらん 右近を讃え天を讃えて
  98.  静けくも強き信もつ人に従(つ)き 城下を廻りめぐりて夕ぐれ
  99.  ご馳走とまさにいうべき 心根をつくしてここに美味盛られたる
  100.  高槻の右近はここに息づくや 郡家新町光満つる家

 

 

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