エッセイ:天下を取った秀吉と天上を見た右近 By Luke

 右近の歩みをたどると、キリストの足跡に従い、貧しい人々をあわれみ、当時としては希に見る福祉政策を実行し、へりくだって民衆に仕えた姿は感銘を覚えます。その時代状況、大名しての立場、武士しての価値観など、今の我々には理解し難い部分もありますが、最後まで信仰を守り通した姿勢は、彼がどこに価値を置いて生きてきたかを物語っています。
彼は信長、秀吉に仕え、多くの手柄を立て信望の厚い武将でしたが、秀吉から「キリストと、わしとどちらを取るか」と迫られたとき躊躇することなくキリストを取り、その結果領地を没収されたのですが、「多くの人々を神に導いたことが私の手柄であった。」と言ったのです。彼は地上の名誉、財産よりも「天に宝を積む」ことに価値を置いていたのです。

 日本の男性は信長や秀吉、家康などが好きです。ビジネスを戦(いくさ)になぞらえ、彼らの生き方や戦略に学ぼうとする人は多くいますが、右近に注目することは少ないのではないでしょうか。彼らの目には右近は敗者として写るのかもしれません。しかし右近に対する当時の諸外国の評価はかなり高かったようです。フィリピンの高山右近顕彰財団理事であるペドロ氏は「第二次大戦中、多くのフィリピン人が日本人に殺されたにもかかわらず、その日本人である右近が今なおフィリピンで尊敬され、彼の銅像と記念館がマニラに建っていることは驚くべきことだ。」と言っています。

秀吉は天下を取りましたが、右近は天上を見つめ、そこにおられる真の王イエス・キリストの忠実な家臣として天に凱旋したのです。

 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。 マタイ6:19、20

 天下を取った秀吉の最期は、不安に満ちたものでした。

「露とおち露と消えにしわが身かな 浪華の事もゆめのまた夢」

 彼のこの辞世の句に比べて、三成の人質になることを拒んだ細川ガラシャの辞世の句はなんと際立っていることでしょう。

「散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」

 彼女の子孫である細川元首相が、議員辞職の会見でこの句を引用していたのは記憶に新しいことです。

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